ニュー・アルバム『XI (eleven)』 公開ライナーノート

勝井祐二が語る“ROVOの20年と新作”

文・インタヴュー=松山晋也

2016年、結成20周年を迎えたROVOはいつもにもまして精力的な活動を続けてきたが、そのハイライトとして10月26日にリリースされたのが、ここにあるニュー・アルバム『XI』(イレヴン)である。タイトルどおり、通算11枚目。

90年代半ば、沸騰するレイヴ/クラブ・カルチャーのムーヴメントのただ中、その熱狂と陶酔感を人力で翻訳、昇華したトランシーなサウンド――勝井祐二言うところの“何か宇宙っぽい、でっかい音楽”を目指してスタートしたROVOは、ほとんど不動のメンバー6人でオリジナルな世界を探求し続けてきた。印象的リフを核に、ミニマリズムの手法を援用しながら遠大な宇宙を描いてゆくという一種のスペース・ロック/プログレッシヴ・ロックは、同時にサイケデリックなダンス・ミュージックとしても機能し、万単位の観客で埋まった野外フェスをも一瞬でクラブに変えてしまう。シンプルなコンセプトと驚くべき展開力の同居を可能にしてきたのは、メンバー全員のけたはずれの演奏技術と音楽的ヴォキャブラリー、そして豊かな想像力だ。世界的にも稀なバンド、と言ってよい。
彼らは、その基本コンセプトを堅持しつつも、構造物としての新しさ、響きとしての新しさを、常に探究し続けてきたバンドでもある。2012年から約3年にわたっておこなわれたシステム7とのコラボレイション・プロジェクトはその最もわかりやすい実験例だったが、こうした明確な方向性とキャリアをふまえた上で、更に一歩前進したのが、今回のニュー・アルバムである。
元スーパーカーのナカコー(中村弘二)が一緒に作曲し、タブラ奏者ユザーンと共に演奏にも参加した曲もあれば、バンド初期からの人気曲のライヴ・ヴァージョンをスタジオで改めて録音したものもある。それらを含む計5曲。作品全体から伝わってくるのは、彼らが何を追究し、何を進化/深化させてきたのか、ということである。ここには過去があり、未来がある。

これらの曲がどのようにして生まれたのか、その背景にはいかなるできごとや思いがあったのか、そして、このアルバムがROVOのキャリアにおいてどんな意味を持っているのか…。一種のライナーノートとして、勝井祐二へのインタヴューを以下に公開したい。読んでもらえればわかるが、雑誌などに載る通常のインタヴューとは趣の異なる、かなり率直で飾り気のない発言である。そんなことまで明かさなくても…という部分もあるわけだが、勝井との話し合いの上、あえて公開した次第。勝井のこのフランクな肉声は、ファンの方々にとっては、他者によるどんな解説よりも、新作の内容そしてROVOというバンドに対する明瞭な理解の手助けになると思う。

――公式のプレス資料では、4年ぶり、通算11作目と書かれていま すが、それはつまりROVO単独名義のスタジオ録音アルバムとして、 ということですね?

そうです。『Phase』(12年)の後にシステム7と組んだ『Phoenix Rising』(13年)があったので、それも入れると3年ぶり通算12枚目ということになります。だいぶ間が空いた感じがするけど、遊んでたわけじゃなくて。2012年からの約3年間は、アルバム制作、アジアとヨーロッパのライヴ・ツアー、フジロック他フェスへの参加など、システム7との合体プロジェクトに全力を注ぎ、ずっと忙しかった。本当に燃え尽きたと言っていいぐらい没頭してました。

――アルバム・タイトルは、単純に11枚目という意味ですか。

もちろんそれもあるけど…10まで行って一回りして、また1から新しいことが始まる、みたいなニュアンスが込められている。あとオープニングのタイトル曲「XI」が、曲名どおり11拍子ってこともありますね。11拍子を基本に12とか9に変わったりもする曲なので、練習中からずっと仮タイトルで「イレヴン」と呼んでたんです。

――この新作を作るにあたり、結成20周年というのは意識しましたか。

20周年を盛り上げようということは当然考えてきました。いつも以上に多くのフェスに出たり、いろんな企画を立てたりして、そうした中のハイライトとしてこのオリジナル・アルバムを位置づけていました。だから今年新作を出すことは、以前から決めていたんです。収録された5曲中、「KMARA」(99年『imago』の収録曲)以外の4曲は、2014年のフジロックへの出演でシステム7との合体プロジェクトを修了した後に作っていった新曲ばかりです。

――何か特別なコンセプトや方向性はあったんですか。

コンセプトと呼べるようなものはなかったけど……今年、20周年を盛り上げる企画の一つとして、去年ウェブ上で、ライヴでやってほしい曲のアンケートをファンから募ったんです。2016年のツアーでは、そのアンケート上位曲から選曲しようと思って。どの会場でも、上位5曲から3曲は必ずやりますよ、と。1位は確か「Spica」(02年『Flage』収録)で、「KMARA」が3位か4位だったかな。で、アンケート後に久しぶりに「KMARA」をやってみたら、お客さんのノリがものすごく良くて。以前と特にアレンジを変えたわけじゃなかったんだけど、ドラムの二人(芳垣&岡部)がかなり自由にやってくれて。この曲は元々、ドラムンベイスのビートを意識して作ったものですが、今年久しぶりにやった時、従来のドラムンベイス的ノリは意識せずに自由にやったみたら、それが逆に本来のドラムンベイスぽさを際立たせた感じだった。もう、やればやるほど盛り上がって、これは面白いなと。で、今現在のライヴ・ヴァージョンを改めてスタジオ録音したら面白いんじゃないか、と思って今回やってみたわけです。20周年を記念するアルバムだし、昔の曲を改めて録音してみるのもいいかなと。あと、今回はっきり意識していたのは、新しいことをやるということかな。

――でも、常に新しいことをやるってのは、これまでもずっと堅持してきたことじゃないんですか? ミニマルでトランスという基本路線を追究しつつも、そこに何か新しい変化をつけてゆくということは、ずっとやってきたことでしょう。基本と進化。ROVOはずっとそういうバンドだったと思います。

そうですね…なんだけど、今回は更に新しく、と(笑)。

――それはたとえば、ナカコーと共作し、演奏にはナカコーとユザーンが参加した「R.o.N」のことでしょうか。    

 

そうです。簡単に言えば、ゲストを入れるということ。この曲は元々は、去年やったドーブ・ディスクスの記念イヴェント《soundohb 2015》(11月22日)がきっかけでできた曲なんです。ドーブ・ディスクスは2000年に解散しましたが、ROVOとナカコー/スーパーカーはレーベル・メイトとしてとても仲が良く、その関係はずっと続いてきました。《soundohb 2015》では、ただの同窓会にはしたくなかったので、ROVOとスーパーカーのお互いのレパートリーを、ROVOとナカコーが合体して演奏したんですが、その時に、どうせなら新曲も一緒に作ろうとナカコーが提案してきて、この「R.o.N」という曲ができたんです。共作曲でゲスト・プレイヤーも入るってのはこれまでやったことがないし、面白いと思い、今回のアルバムにも収録したというわけです。

――ROVOは、システム7とコラボするまでは、ゲストを入れるとか共作するとかはなかったですよね。

ええ、興味がなかったし。

――システム7との合体プロジェクトを通して、コラボの面白さに目覚めたという側面もあったんでしょうね。

そうだと思います。あれがなければ、この曲もなかったと思う。

――曲作りの手順がROVOとナカコーでは違うと思うけど、「R.o.N」ではどんな感じだったんですか。

ROVOでは、ちょっとしたモティーフを元に、全員でやいのやいの言いながら作り上げてゆくわけですが…

――つまり、誰かが持ってきたリフやフレーズを元に、全員で枝葉を作り、巨大な構造物に仕上げてゆく。

そう。速いだの遅いだの、ブレイクを入れろだの、それを3回にしろだの、皆で言い合って。そして更にライヴで形をより整えてゆく。で今回、枝葉をつけてゆく一人としてナカコーが参加しても、単にギタリストが一人増えるだけだと思ったので、ナカコーには元になるモティーフを出してくれと頼んだんです。

――それが、イントロ部分のギターかな?

そうです、あのコード。あれを元にして全員で作った。

――あれは、いかにもナカコーのテイストですよね。これまでのROVOからは出てこないモティーフだと思う。しかし、たったあれだけのモティーフが、あんな大曲になっちゃうんだ(笑)。

なるんですよ、それが。曲に仕上げてゆくには、普通は時間がかかるけど、全員の調子がいいと1日でできちゃうこともある。システム7とのコラボの時も、「hinotori」のライヴ・ヴァージョンを作るのにはどれくらい時間がかかったんだとスティーヴに訊かれ、1日だと言ったら仰天していた。あれは本当に1日で作ってそのまま1日で録音したんです。うまくかみ合うと、そういうことができちゃう。

――メンバー各人が十分な音楽的ヴォキャブラリーを持っているからこそできるんでしょうね。まさに全員で作曲って感じのバンドですよね。今作のラストに収録された大曲「LIEGE」は作者として勝井さんの名前がクレジットされてますが、それも同じような制作工程ですか。

これはまた違うんです。僕がほぼすべてのメロディを書き、全体のコンセプトも作って持って行った曲でした。譜面と構成表に書いて。コードは山本さんと益子くんが変えましたけど。つまり、ROVOの楽曲の制作工程は、曲によって全然違うんです。今作の場合1曲目「XI」なんかがいい例ですね。最初に山本さんが持ってきたのは、一つのフレーズだけだった。それを幹に全員で膨らませていったので、すごく時間がかかりました。よくぞあのフレーズ一つでここまでの曲を作れたなと思います。

――結局、その曲のモティーフというか、楽曲としての一番大きなインスピレイションを与えてくれた者が作曲者ということになるわけだ。

そうそう。その人が大将。だから、ごくわずかなモティーフやフレーズでも、作曲者ということにしている。メロディ部分は僕が作ったけど、作曲者クレジットは全体のインスピレイションをくれた益子くん、ということもあるし。それがROVOの制作スタイルですね。

――「R.o.N」にはタブラ奏者のユザーンも参加していますが、彼は、曲を作っている段階から加わったんですか。

いや、曲を一通り完成させてアルバムに入れることになった後に、参加してもらおうと決めました。完全なフリーハンドの参加ではなく、叩く場所などはこちらで決めて、お願いしました。

――ユザーンとのつきあいも、けっこう長いですよね?

全員、長い。彼とは、Asa-Chan & 巡礼のメンバーとして最初に会った。巡礼の最初のライヴは、ROVOとの対バンだったんです。99年かな。彼はまだ二十歳そこそこだった。その時からのつきあい。特に僕個人の場合は、ここ5年ぐらいで最も一緒にコラボしてきたのがユザーンですね。

――勝井さんから見て、ユザーンの魅力は、特にどういう点にありますか。

まずプレイヤーとして、ものすごい切れと瞬発力に驚かされるんです。あと、音楽家というか人間としての発想の豊かさが素晴らしいと思う。とても頭のいい人だし、こうやったら面白いとか、こうやったらどうなるかというのを一瞬にして理解し、常に一歩先を見ながら演奏に臨んでいる感じがします。素晴らしい音楽家ですよ。

――近年盛んに続けてきたユザーンと勝井さんとのデュオ活動は、ROVOにもフィードバックされているんでしょうね。

そう思います。単純に演奏面で言うと、あのタブラについてゆこうと必死で頑張るので、ヴァイオリンの速弾きが更に速くなったんです。50才超えて、速くなった。まだまだ行けるんだなと思った(笑)。もちろん、インド音楽のリズムのことなどをいろいろ教えてもらったりとかもあるし。そういうのも、ROVOの楽曲にはフィードバックされていると思いますね。

――山本さんが作者としてクレジットされた2曲「XI」「PALMA」は、ミニマルでトランスという基本コンセプトを維持しつつも、そこからはみだして、立体的な新しい形のミニマリズムを作り出そうという意志に溢れている。「R.o.N」は初のコラボレイションによって新しいROVOの可能性を提示している。「KMARA」は、自分たちの曲がライヴによっていかに進化/深化していくのか、ROVOが生き物としてどのように成長してきたのかということを改めて検証している。そして勝井さんが書いたちょっとチル系のトランシーな大曲「LIEGE」。とてもバランスがとれた、充実した内容ですよね。

全曲録音した後に曲順を考えた時、すごく悩んだんです。ナカコーとの「R.o.N」をオープニング曲にしようかな、とか。かなり悩んで悩んで…。一番悩んだのは4曲目「KMARA」と5曲目「LIEGE」の順番ですね。どっちを先にしようかと。

――なるほど。普通だったら「LIEGE」、「KMARA」の順番でしょうね。その方が安定感や締まりがある。

やっぱ、そうかな(笑)…なんだけど、そういう完結の仕方よりも、次につながってゆくような、ちょっと曖昧な感じの方がいいのではと、山本さんと相談してこういう曲順にしたんです。そして、そう決めた時、このアルバムはかなりいいぞと改めて思った。決まった、と(笑)。

――そう言われると、なるほどそれこそROVOらしいとも思えてくる。「LIEGE」の終盤、雲の中に消えてゆくような感じがなんともいいですよね。

ありがとうございます。この曲、実はすぐに書けたんですが、僕もかなり気に入ってて。できればラストのあたりに30人ぐらいの混声合唱団を入れたいぐらいだったけど、予算的にそうもいかないんで…冗談ですよ(笑)

――20分という尺の長さもいいですね。10分だと物足りない。

今回の録音では、この曲は毎日1テイクずつ録音して、その中から一番いいものを選ぼうと思ったんです。で、もちろん毎回ちょっとずつ違う演奏になるんだけど、この「LIEGE」って曲は何度録音してもほとんど同じ長さになって。さすが、結成20年という感じ。不思議ですよね。体内時計のような感覚を全員が共有してしまってるんでしょうね。

――バンドを取り巻く最近の環境や、ファンの反応はどうですか?

いいと思います。特に、日比谷野音の《MDTフェス》などは、ますますいい感じになってきている。この5年ぐらい、通称「ハダカ祭り」も盛り上がってまして。上半身裸になった男たちが肩車をしてグルグル踊りまくから、僕らは「ハダカ祭り」って呼んでるんですが、毎回、野音の客席の同じ場所で始まる。で、今年はそれがフジロックにも現れたんですよ。どういう人たちなのかは知らないけど、うれしいですね。

――バンドの今後に関して、何か不安はありませんか?

不安というほどでもないけど…時々頭をよぎるのは、メンバーの体力のことぐらいかな。果たしてこれまでの曲をこのテンポで、この6人でいつまでやれるのかなと。歳も歳なので。全員かなりきつくなっているのは事実ですね。でも、一人一人が歳をとり、体はきつくなっているけど、演奏自体は以前よりもキレがあり、ワイルドになっているとも感じるんです。トータルなステージ体力としては全然落ちていない。今年なんか、いつもの倍ぐらいバンドとして稼働しているし。

――メンバー全員がいろんなプロジェクトに関わりつつ、しかもこういう肉体的に負担の大きい演奏を続けながら20年もやっているというのは、やはり全員、ROVOというバンドが大好きで、楽しんでいるからでしょうね。

そうだと思います。

――勝井さんは、誰かが倒れるまで続けたいでしょう?

少なくとも僕にとっては、ROVOはライフワークと言っていいバンドだし。メンバーの誰か一人でも欠けると、ROVOはできないと思っています。

[インタヴュー:2016年10月18日 渋谷にて]
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